ウィーダ
父はフランス人ルイス・ラメー、母はイギリス人スーザン・サットンの次女。姉については一切が不詳。二十歳頃より小説を書き始め、1863年にデビュー作となる『囚れの身となって(”Held in Bondage”)』を発表して作家活動に入る。代表作に1867年『二つの旗の下に(”Under Two Flags”)』等。これはこの作家の出世作になっており、後に映画化されている。その他、生涯に『ストラスモー』(”Strathmore” (1865年))、『ニュールンベルクのストーブ(”The Nürnbergstove”(1882年、『Stories for Children』に収録))、『銀色のキリスト』(”The Silver Christ” (1894年)』をはじめ40冊以上の物語を執筆している。1870年頃、父が没したためイタリア王国のフィレンツェに移住。犬好きで動物愛護協会設立に尽力し、晩年は多数の犬と暮らした。1908年肺炎でヴィアレッジョに没し、バーニ・ディ・ルッカに葬られる。一度は結婚していたが離婚しておりその後は独身だった。墓標は本人の遺した文学を愛する読者により寄贈されたもので、生家の残る現在の英国のバリーセント・エドマンズでは記念碑が建っている。