三浦梧楼
長州出身ながら藩閥政治に反対する立場をとり、また山縣有朋とは奇兵隊時代から不仲であったこともあり、谷干城・鳥尾小弥太・曾我祐準らとともに反主流派を形成し、月曜会の中心人物として山縣有朋・大山巌らと対立した。明治14年(1881年)の開拓使官有物払下げ事件では、上記3人と連名で、議会開設及び憲法制定を訴える建白書を提出し、翌年陸軍士官学校長に左遷される。明治18年(1885年)に陸軍卿の大山と共に欧州の兵制を視察した。
長州出身ながら藩閥政治に反対する立場をとり、また山縣有朋とは奇兵隊時代から不仲であったこともあり、谷干城・鳥尾小弥太・曾我祐準らとともに反主流派を形成し、月曜会の中心人物として山縣有朋・大山巌らと対立した。明治14年(1881年)の開拓使官有物払下げ事件では、上記3人と連名で、議会開設及び憲法制定を訴える建白書を提出し、翌年陸軍士官学校長に左遷される。明治18年(1885年)に陸軍卿の大山と共に欧州の兵制を視察した。